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会社という映画の、役者になる

叱られるのは「役」であって、あなた個人ではない。

長年の経験から見つけた、仕事の辛さを家に持ち帰らないための一つの考え方です。 何人かに伝えたところ、「精神的にだいぶ楽になった」という感想をもらっています。

仕事や会社の中の対人関係、取引先からの無理難題。 仕事をしていれば、辛いことや苦しい場面に出会うのは、誰しも同じです。 こういうとき、どう乗り越えるか。世の中にはさまざまな考え方があり、なかには精神論的なものもあります。

仕事が辛いとき、それは自分自身を追い込んでいるために、 仕事を離れて家に帰ってからも、そのことを引きずってしまう。 これも、多くの人が経験していることだと思います。

Method「会社の歴史映画」に、役者として参加していると捉える

私が見つけた解消法は、いま勤めている会社の「歴史映画」の制作に、 役者として参画している、と捉えることです。

たとえば今日は、自分の勘違いで失敗してしまい、上司から叱られる場面。 これを「そういう役割を演じている」と捉える。 プライベートとしての自分自身ではなく、その会社の担当を演じている役者として、 「叱られるシーン」の収録をしているのだと思うのです。

撮影中は会社の窓口担当という役を演じ、シーンが終われば個人に戻る、という対比の図
撮影中は「役」。シーンが終われば「個人」に戻る。

取引先など対外的な場面でも、同じです。相手はあなた個人に対して話しているのではなく、 会社の窓口担当として動いている。個人の立場ではありません。 仮に、納期が遅れて取引先から詰め寄られたとしても、 その担当者もまた、会社を代表する窓口として行動しているのであって、個人としてではないのです。

Scene大河ドラマの、一場面

そう考えると、これは会社の歴史という大河ドラマの、制作の一場面です。 今日はミスをして叱られ、取引先にお詫びをしに行くシーンの役。 窓口を演じる役者としては叱られても、そのシーンが終われば、個人に戻る。 個人は、その映画の役者ではないので、精神面で引きずることは、まったくありません。

会社の歴史という長い大河ドラマのフィルムの中で、今日のシーンはひとつのコマにすぎないことを示す図
今日の一日は、長い物語の、一コマ。

「個人のプライドが傷ついた」という発想にならず、 役者として演じたことと、個人としてのプライベートな時間を、まったく別物として理解できるようになります。

Effect少し辛いと思ったら

「自分はこの映画の役者で、今日は叱られるシーンだから、しっかりとみんなの前で叱られよう」―― そんな気持ちにもなれます。 当然、上司の側も「会社の運営上、今日は叱る日なので、しっかりと叱ってください」となる。 役と個人の境目に線を引くだけで、同じ出来事の受け止め方が、これだけ変わります。

WRICORDEE の視点

現場に立つ人ほど、「役」と「個人」の境目を意識的に引くことが、長く続けるコツになります。 組織づくりや現場の伴走でも、叱る・叱られるを個人の資質の問題にせず、 「役割の場面」として設計できるかどうかが、定着を左右します。

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